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「99 CLUB」新装版 Vol. 2(1985年4月)

99 CLUB

いい年の男がギター持って、
飛び上がって、
バンド演っていること自体、
一つのメッセージなんです。

田中信昭 インタビュー
インタビュアー 三浦智子

 田中さんはインタビュー嫌いだ。
 田中さんはビートルズが好きだ。
 田中さんは哀愁が好きだ。
 田中さんは一見根暗っぽい。
 田中さんはへへへと笑う。
 そして、田中さんはBADGEのリーダーである。

  ところは、春の初め、渋谷の喫茶店。
 彼は約束の時間に少し遅れ、
 コーヒーを注文した。

―― いつ頃からプロになろうという……。
「本格的にバンドやり始めたのが、大学の4年ぐらいかな。プロでやろうなんて、初めは全然なかったんですよ。大学の時やってたバンドが、ラジオのコンテストで優勝して、割とトントン拍子に、なりゆきまかせみたいな。
 博多の場合、その頃、音楽が盛んでね。チューリップなんかまだアマチュアで、フォークギターとウッドベースのビートルズ・ナンバーとかやってて、僕より3つか4つ上だったのかな。僕と同世代なのは、甲斐バンドの連中とか、海援隊の千葉、モッズの森山とか。で、その1つ下の世代が長淵」
―― 今思うと、その頃九州から出て来たバンドって、凄かったんだなって気がするけど。
「博多から出て来たバンドは成功してるっていうけど、それだけいっぱい出てきたもの。成功したのはほんのわずかだよね。あの当時リンドンってバンドを僕がやってたでしょ。唯一売れなかった(笑)。博多から出て来て珍しいねっていわれたもん(笑)。」
―― で、博多に戻って、他の売れてるバンドに対して負けたみたいな意識ってあったんですか。
「くやしいっていうか、あーたいしたもんだって気持ちはありましたね。ただ負けたくないみたいなのはあったけど………」
―― リンドンを解散して、博多で1人でやってて、そこで中村さんと出会って、もう一緒にやるのはコイツだ! と思ったわけ?
「いや、思わなかった(笑)、最初はね。その頃ロッカーズとか、モッズとかギンギンにやってるの見て、またバンドやりたいなぁー、みたいなのが出てきてね。で、中村は大学のサークルに入ってて、一緒にやろうってことで。なんかやり出してやってくうちに固まり出したんだよね。
 で、東京出てきて、レコーディングの話とか決まりそうになるんだけど、ポシャって。その繰り返し。最初、1年の約束だったの。1年こっちでやってみて、ダメだったらやめようみたいな話で。今度ダメだったらやめよう、今度、今度、と言ってるうちに5年間経ってね。でも、今は本当に自分達のやってることにも自信出てきたし、これはもうやるしかないと」(次ページに続く

©1985 99 CLUB, Nobuaki Tanaka, Tomoko Miura

表紙 | P2-3(中村昭二コラム)| P4-5(田中信昭インタビュー1/3)| P6-7(田中信昭インタビュー2/3)
P8(田中信昭インタビュー3/3)| P9(川崎哲インタビュー)| P10-11(次号予告)

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